久々の演奏、その後の反省書きなぐりの話。

人前の舞台に立ち笛を拭いてきた。五年ぶりくらいの舞台。終わったものについてあれこれと反省。やはり舞台慣れがないのでカラオケで練習してるときとは全く違う。いつになったらこの緊張が解けるのか。緊張することは悪いことじゃないけれど程度がある。舞台に上がると未だに手と膝が震える。今回は市の施設のロビーで行われたふれあいコンサート的なものなので規模も小さく(とはいえ延べ150人以上のお客さんがいらっさった)もちろん無料で地元の方たちがあらまあなんかやってるわね的に見に来てくれるようなそういうイベント。だからそんなにガチガチになる必要はないんだけれども分かっているんだけどもあがり症が治らない。落ち着けばなにも問題ない演奏もハイ本番!になると途端に先の見通せないアドベンチャーになる。練習量を増やせということなんですが今回結構毎日地道に練習しててもこれかと。直前の控室ではもう問題ないなと感じた曲がはあもうこんなに綱渡りになるものかと。ああ怖い怖い。やり直したい。全部最初からやり直したい。一音目のアタックがスンってかすれたあのときの心臓の収縮よ。メロディーの始まりさえスコーンと音が通ればあとは流れで間違える心配もないだけになんであんなに繰り返した一音目がこの舞台上でかすれるかな。動画を見直して悲しくなる。痛くしないので力を抜いて欲しい。いつも通りでいいのに。

五曲演奏したけどパーフェクトに満足行ったものはなく細かな粗が随所に思い出される。一度も間違ったことのない運指を初めて違えたり力みすぎてツバがたまりうまい具合にごまかせなかったり。比較的うまく行った曲も惜しい、前奏の音が一音外れてたし三回出てくる最低音が二回出せなかった。雰囲気程度しか出てなかった。いくらでも出てくる。演奏が止まらなくてよかったみたいな最低限のポジティブしか発生してない。引きずるタイプなんだよわ。

演者はこんなだけど扱ってるジャンルが少し珍しいためその珍しさだけで一般のお客さんに関しては押し切れるんですよ、押し切れることがわかってしまっている自分にも微妙に腹が立つとこもちょっとある。扱ってるのは南米の笛です。この笛吹いているとそれこそ演奏がストップして崩壊するとか全く音が出ないとかそういうよっぽどのウンコ演奏でない限り一般のお客さんから酷評されることはないのよ。いや、わかる。私も例えばトルコの古典音楽なんかの生演奏を聴いたとして演者のミスに気づくわけはない。メロディー吹っ飛ばして次のパートに行っちゃったとしても気づかない。つながりが変だなとか絶対思わない。だって元の模範的演奏を知らないんだもの。そう、だから私もなに食わぬ顔をしてればいいんだよ。そう、今回は動揺が出るようなことはなかった。少し間違ってもその後素知らぬ顔で音を続けた。それは良かった。関係者ならアチャーって言いそうな明らかなミスも気付かれはしないはずなのだから。だが開き直っていいものだろうか、やはりそれはいささか失礼なのではなかろうか。という葛藤。バレてなくてもせめて自身はミスをしっかり後悔して次の機会に活かしたいものである。

演奏時間はわずか30分弱、しかしHPもMPも非常に削られた。悪い疲労ではないが本当にもう。楽しかったがそれは楽しかったんだけど変な疲れ方してる。舞台慣れしたいなあ。もっと力を抜いて楽しめればいいのになあ。珍奇なジャンルによるバフなしでも純粋にお客さんを積極的に楽しませる演奏ができればいいなあ、したいなあ。楽譜も読めない、コードや和音についても理解してない、そんな人間の演奏体験もある意味貴重だろう。ちなみに私は全部耳コピです。それしかできないからなんだけど効率悪い!