何回目か、通勤ランの話。

今まで退勤ランをやったことはあるが、今日初めて出勤時にランをしてみた。朝7時に出て8kmくらい走って職場到着。うむ。始業まで余裕がある。これはたまにやっておくか。本日のちょっと肌寒いくらいの気温でもじっとり汗をかく。この季節がちょうど良いのかもしれない。

今月は土日に予定が詰まっているため平日に走らなきゃない。走らなきゃない?はて。

単なる目標なんだけれど月間160kmの走行をずっと基準にしている。これに満たなかったときはとても悪いことをしたような気になってしまう。いや実は早くも先月2月に全然走ってなくって目標を大きく下回ったわけだが。そんなの別にいいじゃんと思えない。

生粋のインドア派で人生を送ってきたわけなのになぜか走ることになり、走り出してからは距離に囚われている気がする。スピードもそうなんだけれどそれよりも距離、ゆっくりでもどれだけ多くの距離を走ったかに縛られている。走らないよりはそれはもちろんトレーニング的にもダイエット的にも走った方がいいんだけれど、月末近くになって「あと3日で50km走らなきゃ!」って思って無理矢理走るみたいなのもあった。これは気持ち良くない。気持良くないけど達成するとンギモヂイイィィィィってなるのよね。

全然解放されていない。しかも走る距離が短いと妻からプレッシャーかけられる。怒られるまである。200は行けみたいなことすら言われる。きついんすけどそれ。

走りながら、私はどこを目指しているんだろうという気持ちはにはよくなる。未だに分からん。この趣味、目標と通過点はあってもゴールがないんだよな。あ、今うまいこと言ったので泣くところです。ゴールは走れなくなった時、走りやめるときと考えるとなかなか哀しいものがある。

よく分からんながらもやれるうちは惰性でもいいなんでもいいやっておくかの気持ち。辛いけど嫌いなわけじゃないのよ、痩せたしたぶん健康になったし友達もできたし楽しい体験もいっぱいしている、ただ分からんだけ。この趣味を分かるようになったら、走らなきゃから解き放たれるんであろうか。それまではとりあえず、とらわれ続けていようと思う。