演じれば花が咲く。

私は声が小さい。そして声が通らない。あと地声が低いんだと思う。声のスペックとしては最も悪い部類だ。

話すのがあまり好きではないのはこの声のせいかなとは思っている。何か言ってもよく聞き返されるので面倒なんだ。そのうちにどうせ言っても意味がないなと思うようになったので、ますます声が出なくなった。喉の下の方でぐるぐる鳴っているだけ。私に慣れている人でないと難しいだろうなとは思った。中高生のときはそんな感じだった。

だんだん大人になっていくにつれて、演じることを覚えた。人一倍恥ずかしい感情を恐怖する性質だったので演じることにも抵抗があったのだが、何かと円滑に物事を運ぶのに、自分の声が支障になっているのも身に染みてわかっていた。いろいろな事柄を秤にかけた。そして演じることを選んだ。

役割が与えられるといいらしい。そういう役割だからとストンと納得できて自分のじゃない声が出る。仕事みたいなものだ。仕事と言えば今までの会社でもずっと演じていたので社会的にはちゃんとしている。と思う。声も問題なく出る。その反動なのか、仕事でなければあまりしゃべりたくない。

喉ですり潰したような大声しか出せなかった時分よりは、今はだいぶまともになってきた、慣れてきた。相変わらず通りはしないが正常の範囲と認識できる声にはなった。

先日の週末、ちょっとしたイベントのスタッフを担当した。初対面グループでも物怖じしない声が出せるようになっていた。41歳でこんなこと言ってるのも恥ずかしいが。スタッフの役割の一つの声出しはむしろ私が積極的に担当した。レースなんだけど、そのポイントに入ってくる人には大声で「お疲れ様でーす!!」、そのポイントから出ていく人には大声で「いってらっしゃい頑張ってー!!」と声をかけ続ける。それを一晩中やっていた。30時間くらい大休止なしで声出しをしていた。

だんだん演じている感覚はなくなった。無理もしていない。自然だった。

人は変わるものだね、甘えていてはいけないね。自分らしさなんてものは常に変化する。固執するのは馬鹿らしい。ポジティブになってきているのはいいことだ。これも元々の自分らしくはないけれど、紛れもなく今の自分。

今日も取り止めはないね。いいんだ、そういう場所だから。