ずるい言葉の話。

頭の中の整理できない考えやら何やらをスパッと表した気分になる言葉たちによってアナログ音源をデジタル化されて可聴域ではない音を切り捨てられたような感覚を覚えてしまう。そんなに単純か。言語化というものはとにもかくにももてはやされるけれどもいくら母語とはいえ日本語はそんなに万能なのか。言語化できないことこそがきっと思考の核なのじゃないのか。

ブログを書いて文字にしてすっきりするのは本当はやりたいことを放棄する手段でしかないのかもしれない。言語化って言ってごまかしてるだけなんじゃないだろうかね。それで納得できていないからこんなことを書く。

あと自分が手で書けない漢字を変換して使えてしまうこのワープロ機能ってどうなのかね。便利だけどもさ。漢字で書く意味ってのもあるだろうに自分の頭の領域に無くて書けない文字を勝手に補完しちゃってさ。どうなのかね。なるべく変な漢字使わないようにしている。「うるさい」と書くのと「五月蝿い」と書くのはなんか違うかろう。手書きで毎度「五月蝿い」って書く人いたらその人は厨二病なので敬遠しておいていいと思う。