散らばる。

散らかった部屋に空調もつけずに汗だくで座っている。

片付けが義務付けられていないのならこのまま部屋ごと朽ちたい。

妻が働いている間はせめて私も家の中のことをしないとな、というのが結婚してから(だいぶ前だが)意識が変わった結果のこと。

独り暮らし、とにかく掃除と洗濯と整理整頓が好きではなかった。

かと言ってゴミ屋敷ではなかった、なぜならゴミはきちっと集めて必ず収集の日に出すので。

そこだけはきっちりと。

ただ物は散らかる、散らばる。

寝具に洗濯が必要という意識もなかった。定期的に親が来てシーツとか枕カバーを交換していったのである。

曰く「醤油で煮しめたようなシーツ」だったそうだが。

いやいや言いすぎでしょ・・・。

洗濯は苦手だったけど、服に関しては洗剤入れてスイッチ押せば機械がなんとかしてくれたからまだね。

雑に洗えるような安い服しか持っていなかったし。

ずっと同じ服着てるとかはなかった。

干した洗濯物は畳めずに山となっていたけど。

こんなズボラだったが、別に鬱っぽかったわけでもないので、風呂は毎日入った。

光熱費、水とガスはそんなに大したことないだろうと思って毎日風呂ためて贅沢に。

プロパンガスの賃貸に入居した後はそれで恐れおののくことになりシャワー派にくらがえしたけど、いまでも浴槽大好きだ。

あ、風呂の掃除はちゃんとしたな。

他人から見たら一貫していなくても、生活している本人には理由や法則のようなものがあるのである。

こだわりというか。

そういうこだわりを捨てざるを得ないのが同居であり同棲であり結婚かね。

ただ、滅私ではなかった。

私のこだわりは妻の前に軽く論破されまくったのである。

改心の方が近いね。

そりゃあ部屋が汚くてズボラであることにいくらこだわりがあっても正義があるわけでもない。

基本的におっしゃる通り。ちゃんとするの一言に尽きる。

ということを考えながらの今。

自分がズボラで良かったなと思うのは、妻が部屋を散らかしていても全く気にならず喧嘩にならないことかな。

正直、ピシッと片付いている方が落ち着かないんだよね。本当は。

ものをズザーッと脇に除けて、体一つ分の横になるスペースを確保して昼寝とか。

そういうのが良いなとも思ってる。たまにやる。

さ、ちょっとスッキリしたので、掃除するか。

偉いね。