真面目にやれ。

たぶんなんですけどね、私は真面目な人です。

それで通してきたのですけど、ここで言う真面目が実際のところは「地味」「自己主張しない」「つまらない」くらいの意味でしかないですね。

面白くない人のことをしばしば(傷つかないように)形容して真面目と言うんですよね。

私がまさにそれ。

実のところ、真面目になればなるほどボロが出るのが怖くて、実力の底が知れるのが怖くて、すぐふざけてしまう。回避しているんですね。本気を。

私は今ふざけてやってるんですよ、だから失敗してもそんなもんですよー、というポーズをとり続けてきたんですよね。

そして今、なのですよね。

この年になってから気づくことの多いこと多いこと。

40手前とはそういう時期なのかもしれない。

惑わず、とか言われ続けてなんとなく惑ってはいけないという呪いにかかっているのかもしれないです。

ジョギングを始めてみた、山は相変わらず低い山へ、自転車はなんとなく乗っている、そして資格の勉強を始めてみた。

惑わないための足掻きでしかないですね。

これを自分でみっともないと思ってしまうと、それはまたポーズなんですよね。

いや、これもちょっとやってみただけで真面目にやってないですし~、と言い訳をすることになってしまいます。

もちろん本意ではないのです。

そろそろ、本当に真面目にならないとダメなのです。

ダメって、何がダメなのか、別にいいじゃないか、なんとなく生きてこられたのだから、と易きに流れるのが今までの私。まだ意気込み段階だからこれからの私は違う!などとは全然言えたような状況ではないのですが、大げさながらも周りの人たちの顔を思い浮かべふと少しくらい真面目にやらないとなと感じるところです。

誰のためでもないというのも嘘だけど誰かのためでもないですね。

良く死ぬ為に。

死ぬ間際に私が自分を肯定できるように。

そろそろそんな準備をするべきときなんだと思います。