無数の他人の生活について。

Twitterで以前サラりと触れたことがあるのだが、知らない人たちのそれぞれ皆がひとりひとり自分の人生を生きていてそこに生活があって毎日の営みが繰り返されていることにふとした瞬間に思いを馳せてしまい―全くいい意味ではなく、非常に気持ちが悪くなってしまうことがある。
今日フォロワーさんのとても似たような感覚についてのツイートを見たので改めて考えてみた。
考えると言っても、思考とか意志の問題ではなく感覚と生理の問題なのでそれを解決しようとする何かではない。
ぼんやりとしているものを少し明確にしようというだけだ。無理な感覚自体は変わらずたぶん無理。

症状としては
・クラクラする感覚
・気持ち悪いなと思う、物理的に吐くような体調の変化はない
・ちょっと脚にくる
・地面がぶよぶよに感じる

というところで、気持ち悪いと言っても二日酔いとかそういうのとは違う。貧血(なったことないが)や立ちくらみが近いと思う。

どういうときにそうなっちゃうのか。条件を書き出すと
・馴染みのない街、知らない街
・高層マンション
・住宅密集地
・巨大団地

あたりだろうか。これは何も実際に自分がそこにいなくても、そこに住む人たちが想像できさえすればいいのでテレビの映像でもなる。
ジロ・デ・イタリアの空撮映像とかで城塞都市っぽい街にみっちみちに似たような建物が詰め込まれているのもちょっとくる。でも症状は弱め。さすがにテレビ見てるときに毎回クラクラするわけでもないから現場の空気というのも要因の一つなのだろう。

私は想像力が豊かな方ではないので、思い浮かべる画なんてしょんぼりしたものだ。
自分が知っている範囲の食卓のようなもの、リビングのようなもの、そこに家族だったりもしくは一人暮らしだったりの人数を当てはめているだけ。バラエティに富んでいることもない。

ただ単に大きいものや数が多いものに恐怖を抱くのとそんなに変わらないのかしら。
でっかい石像への恐怖症ってあるでしょう。私も少しその気がある。
それと同質なのであれば、特別なことでもないのだが。個々人の生活、営みというところに少し違和感もある。人間が嫌いなわけではない。
ちょっと吐き出してみたもののよく分からないね。

近場では多摩ニュータウンが凄く嫌いです。あそこの団地とか集合住宅群見ると本当に気持ち悪くなる。住んでいる人に罪はなく、勝手で申し訳ない。

多摩ニュータウンの写真 Wikimediaより